去る3月15日に囃子科協議会の定例公演で「羽衣」を和合(わごう)の小書で舞わせて頂きました。
小書というのは普段とは違う特殊演出を言います。
曲名の左横下に小さく書くので「小書(こがき)」と言います。能の番組でこの小書を見つけたら、ああ今日は特殊演出で演じられるのだなと思ってくださればいいのです。
そしてこの「羽衣」には三通りの演出があります。
一つは常のやり方、二つ目が今回の「和合之舞」そして三つ目が一番グレードが高いとも言える「彩色之伝(さいしきのでん)」です。
常の演出は当然、構成もしっかりしているこの曲を省略せずそのままを堅実に演じます。
三つ目の「彩色之伝」は人間にとって天上界はかけ離れた世界であって、仰ぎ見ることはできても近づくことも交わることもできぬ異次元の世界。つまり、天人、それも月の世界の天人の神々しいまでの美しさを強調するような演出といえます。
私が昔、八世銕之丞 先生にこの小書を稽古して頂いた時に、小書の一番大事な場面であるイロエ(彩色)の所は、まるで氷に閉ざされた氷室(氷の世界)の中で天人のつけたキラキラとした冠の瓔珞(ようらく)が触れ合って「チリンチリン」と氷の中で音が響くようなそんな世界なんだと言われ、月は発光体じゃないんだ、太陽に照らされて初めて輝く、そういう天体であること、無機質の冷たい世界なんだ。そう言われたことをよく覚えています。
それに対して今回の「和合之舞」は、クリ、サシ、クセもあり、地上の世界と天上の世界を描きます。
地上界と天上界が合い和すような華やかさがあり、面も小面でやるように、と、昔父は言っていました。
小面となれば当然、可愛らしさや可憐さが印象に残ると思います。
又、天冠(てんがん)の上に乗せるものも常の演出では「月」、和合之舞では「鳳凰」、彩色之伝では「白蓮」をつけます。
羽衣は曲としての構成がしっかりしていますが、それほどのストーリー性があるわけでも起伏に富んだドラマ性があるわけでもないですから、ある力を持続して終曲まで持って行かなければならない、かなりしんどい曲であると今回改めて思いました。
春爛漫の、明るい、どこかたゆとうメランコリックさも感じられる舞台面だと思いますが、演じる側にとっては、かなり難しい曲だと思います。でも、まっすぐな曲なので、演じていて心地よさをとても感じます。
国立能楽堂の空間に、三保の松原と富士山という日本人にとっての原風景を見て取っていただけたら嬉しいと思っていました。
ご覧下さった方々、ありがとうございました。