この間の「隅田川」はお陰様で満席となり、多勢のご覧下さったお客様と共に震災の日のお弔いとして自分はやらせて頂いた気持ちがしていました。始め、笠を思っていたより深くかぶりすぎて途中から前が見えなくなり変な方向を向いてしまい自分のせいなので恥じております。水道橋に出かける前に家でテレビに流れる、震災・津波の映像を見ていて随分と心重く楽屋入りしました。5年前のあの日も3月定期公演で、自分の「殺生石」を演じる日だったこと、その日のことをまざまざと思い出していました。自分を含めもう1番の「桜川」のシテの片山九郎右衛門氏をはじめ、何人かの能楽師が来ましたが当然全員揃わず、そのうちに国立能楽堂から水道橋に向かわれる車中の銕之丞師と連絡がやっと取れて「もう無理だから中止にしましょう」とのことで、既に来られていたお客様にもその旨をロビーでお伝えしました。そこで、帰られた方もいらっしゃいましたが、地方からの方など帰ることができない方々を何時間もかけて青山の銕仙会までお連れし一晩泊まって頂きました。あの日は誰もが何かの深い思い出を持った日でした。私はその後、3月11日の「殺生石」の為に創った面「妖狐(ようこ)」の為にもと、8月にチャリティー能として「殺生石」白頭を女体でやらせて頂きました。「隅田川」を演じている時に、何かわからない見えない力で背中をグイグイ押されているようなともかく、あんなに苦しくて重い「隅田川」をやったのは初めてでした。我が子の墓を見て、本当に現実を目のあたりにした母親は、泣くというよりの茫然自失の思い、虚無感、虚脱感、そのような思いが特に今回は私は強く、モロジオリする気になれませんでした。そんな私の「隅田川」でした。