新作能「望恨歌」を終えて

<新作能「望恨歌」を終えて>

去る4月20日(土)国立能楽堂において、著名な免疫学者でいらした多田富雄氏のつくられたこの「望恨歌」が、氏の没後9年の追悼公演として上演されました。当日は、能楽プロデューサーの笠井賢一氏のプロデュースにより、能の前にソウル女子大学教授のソンヘギョン氏による講演と「百済歌謡」の復曲演奏がありました。

さて、この「望恨歌」が私にとってシテとしては初めての新作能でした。元々は、私の能を度々観てくださっていた歯科医師の岡田弥生さん(今回、「望恨歌」のメンバーの一人になっている)からの「ぜひ久さんにシテを演ってください」という熱き温かきご依頼のメールが発端でした。私が、昨年7月の第5回となる女性能楽師だけの地謡による研究公演に向かって私にしてみれば、滅茶苦茶力を注いでいる最中だったことと、そのような新作能のシテを演ること、この「望恨歌」という曲は、見ても聞いてもいないこと、それらで簡単にお返事もできずにいるうちに、知らぬ間に事は進み、8月に入って笠井氏にお返事した時には、あと1年もないその会場その他が既にお膳立てされていて、本当にびっくりしました。

これまで、自分が企画し、全てをシテ一人が担って一つの公演を成り立たせるというシテ方能楽師として当たり前のことは長い間やってきましたが、このようなある意味で有難いことは生まれて初めての経験でした。それは、プロデュース面のことです。

さて、実際の舞台(一曲)の構築においては、いわゆる産みの苦しみと言うかまさに試行錯誤の連続でした。なかなか中でもどうしても理解しづらかったのは、この戯曲に描かれるこの老婆の苦しみ・悲しみ・辛さが韓国の方達の共通認識としての“恨”という概念です。「“恨”は他者に対する“恨み”ではないのです」と、ソン先生より伺い、本も読みましたが、決して簡単に理解できるとは言えないものがありました。しかし、多田氏はこの曲の後半で、“恨々舞”と名付けて何らかの舞を舞うように作っておられます。元より、能一曲の中で“舞”を舞うという場合、特に夢幻能においては、その必然性があります。また、シテを演じる時、その必然性について、深く体を使って考える必要があるのだということを若い時、寿夫師から言われています。ただ、この曲のありようの中で、どうも把握しづらいものがありました。何故この老婆は舞うのだろうか?ということ。

輪廻の舞、懐旧の舞、哀愁の舞など、名前はついてはいませんが、夢幻能における序の舞のように様々あります。でも、この曲は、あくまでも“現在能”です。では、現存の現在能の序の舞はというと、千手や時として船弁慶など、白拍子という女性芸能者の側面を持つ女か愛する人の前で職業意識も含め、舞うという必然。“舞”というものは、抽象的な型の連続であり、空間と時間が支配する一曲の主人公(シテ)の思い、そして演じるしてのそれまでの人生で培われてきた何ものかがその存在と共に、立ち現れる。囃子方が奏する音、シテ、地謡が発する息使いから生まれ出る言葉、詞句の数々。それらが一体となって観る側の創造力を刺激し豊かな能という体現芸術の表現が生まれるのだと思います。

話が横に逸れましたが、この老婆が舞うのは、この曲の流れからみれば、当然“序の舞”なのだと思います。しかし、この女は舞を舞うことを職業としている人物ではない。(多田氏は巫女的な要素があるとも言ってはおられます)しかし、私はこの女は自分に降りかかる様々な事象を舞ったり踊ったり歌ったりして、心を癒やしながら、生きてきた少なくとも舞うことが好きな女であったろうと思うことにしました。それよりも、この曲が現在能でありながら、ある夢幻性を感じるのは、この老婆の体の中に刻まれている時間の流れです。二人が幸せな結婚生活を送っていた頃、強制連行され自分のも元を突如離れていった夫の身を案じる日々、夫が遺骨として戻ってきたその時、そのこと。長い月日の中、老婆となった今の身の上。少なくとも、過去の日々が時として老女の上に蘇ってくる。その思いと共に生きている日々をそこへもたらされた亡き夫の直筆の手紙。

もしかすると、彼女は、抱えているものが深く重くあったとしても、彼女としての日常は穏やかであったかもしれない。そこへ現実を目の前にして、また、その怨みは彼女の心に火つけたのかもしれないと、今回は、笠井氏の示唆も有り、(恨みの思いがもっと出ているべきでは?という)そのような方向性を持った心で舞の導入をはかったつもりです。舞の中では、昔、眠れぬ夜、空に上る月を見ていたその頃の自分、つまり、懐旧の念も当然、創り出したつもりですが…。舞のあと、いわゆるキリの部分(最後の方)で、まるで締めたネジが高速で戻るような急転直下の部分は、私なりに考え、地謡、囃子方のご協力を得て高速反転を試みました。そこで、“神の業”とも言えるハプニングをもたらすことにもなり、今も不思議で信じられません。

どうであれ、この度の「望恨歌」では能楽師として様々な貴重な体験をさせていただきました。ゼロの平地から立体的に一曲を創り上げるその大変さと面白さ。過去に、故橋岡久馬氏、観世栄夫氏のお二人が演じられたとは言え、私自身として、この曲にゼロからぶつかったという思いがしています。今回の「望恨歌」は“鵜澤久の「望恨歌」”となったのでありがたいことと思います。

チャンスを下さった岡田さん、プロデュース・全般の演出をしてくださった笠井さんに改めて御礼をお申し上げます。

また、北九州テレビ放送局(KBC)の原口さん、他スタラの方々、短い間でしたが韓国にも連れて行っていただき、その地の気候・風土・人々の暮らし(それらは新潟の田舎と見事に同じでした)に、触れることができたのは演じる上でこの上ない豊かな嬉しい体験でした。このブログ上ですが、お礼申し上げます。※

そして最後に、舞台を共にしてくださった地謡・後見・囃子方の皆様のご協力あってこその舞台でした。厚く御礼申し上げます。

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